また、子どもたちが折ったと思われる折鶴も幾つかの壁
の前に見られた。
朝鮮半島出身者の礎の献花
同半島出身の刻銘者数は、北朝鮮82名、大韓民国382名
で合計464名(2022年6月現在。沖縄県HP)
朝鮮半島出身者の礎の刻銘のない黒い壁。
刻銘されていない多くの朝鮮人犠牲者への献花が置かれて
いた。
沖縄につれて来られた1万~2万人とされる朝鮮人の軍人・
軍属あるいは従軍慰安婦。
その数は沖縄戦での犠牲者数を含め正確な数はわかって
いないという。(2015、8、25付、沖縄タイムス社説「【戦後
70年 地に刻む沖縄戦】朝鮮人軍夫飢えと差別と重労働と」)
さらに社説は次のように記している。
「
朝鮮人軍夫は、決して忘れてはならない存在でありながら、
人々の記憶から忘れられつつある。」
美しければ 美しきほどに 悲しかる
島 ゆきゆきて 限りなき 恨(ハン)
(浜子)
上掲の歌は、渡嘉敷島に建立(1997年)された朝鮮人慰安
婦慰霊碑(「アリラン慰霊のモニューメント」)の碑文より。
なお、
中村仁勇著『沖縄・阿嘉島の戦闘』には、日本軍がいかに朝
鮮人軍夫を虐待あるいは虐殺(銃殺)したかが記されている。
(同著 「3 朝鮮人軍夫 〈戦場に放り出された軍夫〉〈アグの
処刑場へ向かう6人〉〈住民も知らなかった野田山の処刑場〉)
岬うつ涛ただ滔滔と沖縄忌 (後藤黙石)
しばらくは沖を見てゐる沖縄忌 (古波蔵里子)
断崖も海も語り部沖縄忌 (中村富子)
撤退の命なかりせば沖縄忌 (本村隆信)