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2022年04月13日

 センダンの花~本部町八重岳

 センダンの花~本部町八重岳


 
 名護市から本部町伊豆味へ向かう県道(84号線)沿いや 
 山間のあちらこちらにセンダンの花が咲いている。 
 
 遠目からは灰色の地味な花に見え、周囲が緑ばかりだと
 センダンの花だとは気づきにくい。
  
    
    むら雨や見かけて遠き花楝  (白雄)


    遠く見しあふちの花を森に探す  (安住敦)


  
 山に霞が出ていたり日が暮れてくると、もやのかかった
 ようになお分らなくなる。


    林中の暮色にまぎれ花樗  (桶笠 文)

      
      どむみりと樗や雨の花曇り  (芭蕉) 



 楝(あふち)、樗(あふち)のどちらもセンダンの別名(古名)。
 センダンの沖縄での方言名は、シンダン、シンダンギーなど。



 古名の楝がセンダンと呼称されるようなったのは江戸時代
 からと言う。その由来には諸説ある。

 (1)センダンの名は、センダマ(千珠)の意味で、実のつき方
 が数珠を連ねたように見えることから、「千珠(センダマ)」と
 呼ばれ、それが訛ってセンダンになった。

 (2)センダンの実から数珠が作られたことから、その数珠玉
 にする実がたくさんなるので「千珠(センダマ)」となり、センダ
 ンとなった。 

 (3)滋賀県大津市にある三井寺の守護神は、千人の子を
 持つという鬼子母神で、古くから祭礼では千個の団子を供
 えた(千団子祭)。センダンは、冬すっかり落葉した枝先一
 面に黄色の実がつく。

 この実がついた様子を「千団子」に見立てセンダンゴと称し、
 これが詰まって単にセンダンとなった。
 その音(おん)が栴檀と共通していることから香木の栴檀
 の漢名が当てられた。

 〇参考
  中野進『花と日本人』、深津正『植物名の語源探求』 
 



  センダンの花~本部町八重岳


 八重岳ウグイス谷のセンダン。

      
     花樗夕べの空に紛れゆく  (佐藤なか)  


     むらさきの山の風湧く花樗 (井上浩一郎)



 八重岳を訪れる車は何台かあった。しかし、華やかな桜の花
 祭りの頃とは違い、どの車もウグイス谷の三叉路を通過して
 いく。
  
 


 センダンの花~本部町八重岳


 近くで眺めると淡い紫色の小さな花が無数集まって咲い
 ている。

  

 センダンの花~本部町八重岳


 一つ一つの花はとても小さい優しげな花だ。   

 花びらの色はよく見ると、淡い紫色というより花弁は白っ
 ぽい。白い地の色に淡く紫色がのっている感じ。



 花は芳香がすると本などには書いてある。
 しかし、近寄っても香りは感じない。花に鼻をつけて嗅ぐと
 ようやくかすかに香りがした。

 山路で出合った犬を散歩させていた老人に訊ねた。
 その方も「昼は匂いはしない。夜はする。風があると匂い
 がする」という。香りが辺りに漂うには大気に湿り気が必要
 なのかも知れない。
 梅雨の頃まで咲いていれば、花の下に立てば昼でも香りが
 するだろうか?


    栴檀の花匂ふまで雲垂るる  (子森泰子)



 
 童謡「赤とんぼ」を作詞した三木露風(1889~1964)に
 栴檀を詠んだ詩がある。夕べから夜の闇に香りを漂わす
 せんだんの花が詠まれている。



        栴 檀      
 
    せんだんの花のうすむらさき
    ほのかなる夕(ゆふべ)ににほひ、
    幽(かすか)なる想いの空に
    あくがれの影をなびかす。

    しめり香や、染めつつきけば
    やはらかに忍ぶ音(ね)もあり。
    とほつ代のゆめにさゆらぎ
    木のすがた、絶えずなげかふ。

    ああゆうべ、をぐらし深く  
    わがむねをながるるしらべ。      
    せんだんの花ふるへて、
    わがむねをながるるしらべ。

    世は闇にはやもう満つれど
    たぐひなきあくがれごこち。
    消えて身は空になびくか。
    せんだんの、あはれなる花のこころよ。




 センダンの花~本部町八重岳


 花は直径2cmほど。花びらは5枚。
 花の真ん中の紫色(この色が楝色)の筒状のものは、10本
 の雄しべが合着したもので、筒の縁に葯はつくという。


 大保ダムでは、橋の欄干からセンダンの花を手に触れて見
 ることが出来る。




 センダンの花~本部町八重岳



    花よりも葉のよく揺るる樗かな  (藤田佑美子)


    花あふち梢のさやぎしづまらぬ  (橋本多佳子) 





 センダンの花~本部町八重岳


 花房の枝が垂れて背後の闇に映える姿は風情を誘う。


    晩年を樗の花のとりこたり  (窪田佳津子)  
 


 センダンの花~本部町八重岳





 センダンの花~本部町八重岳



 
  「木のさまにくげなれど、楝の花いとをかし。かれがれにさ
  まことに咲きて、必ず五月五日にあふもをかし」

           清少納言『枕草子』(第37段〈木の花は〉)          

               
   
  清少納言の語る五月五日は旧歴で、新暦では、5月末頃か 
  ら7月初め頃に当たり、本土でのセンダンの開花期はその
  頃で季節は夏。 




       楝(おうち)ちる  かわべの宿の        
       門(かど)遠く  水鶏(くいな)声して
       夕月すずしき  夏は来ぬ   


  歌人で国文学者の佐佐木信綱が作詞した、「卯の花の匂う垣
  根に/時鳥(ほととぎす)早も来鳴きて・・」とうたわれるあの唱
  歌『夏は来ぬ』(作曲:小山作之助)の第4番目の歌詞。初夏の
  花として「楝」の花が歌われている。。

    
  沖縄でのセンダン(楝)の花期は早く3~4月。季節は春。
  センダンは春の終り、やがて訪れる初夏を告げる花のひとつ。   
  うりずんから若夏へ向かうこの頃は野山には白い花が多い。
 
  エゴノキ、クチナシ、センダン、テッポウユリなどの白い花から、
  梅雨のイジュの白い花へと続く。




 センダンの花~本部町八重岳


 その年の枝の葉脇から花茎を出し、小さな花が総状に多数
 咲く。




 センダンの花~本部町八重岳


 葉は40~50cm。互生し2~3回羽状(うじょう)複葉。
 八重岳や大保ダムで見たものはどれも2回奇数羽状複葉
 だった。




 センダンの花~本部町八重岳


 涸渇し黒く変色した実がまだ残っていた。

 沖縄でのセンダンの実の時期は10~12月。すっかり落葉し
 た枝咲きに熟した黄色い実が鈴なりに多数垂下がる。

 

 センダンの花~本部町八重岳


 センダンの樹皮は暗灰色。縦に割れ目がある。
 ホルトの木同様に夏になると蝉がよく集まる。子ども頃の夏
 休みは、蝉とり網を手にシンダンギーの幹を見上げていた。

 木の材質は軽く柔らかいうえに強度があるので、家具や
 木工芸の材料として利用される。。
 



 センダンの花~本部町八重岳


 樹高13~15mほどのセンダン。
 
 センダンは落葉高木。原産地はヒマラヤ地方と思われると
 いう。(初島・中島『琉球の植物』)。漢名は楝樹。

 英語名はいくつかあるが、その一つが Umbrella Tree。

 名護市立瀬喜田小学校のセンダンは英名の傘のように横
 に広がった姿が美しくよく知られている。
 ちょうど今、満開の花が樹冠を覆っている。国道の車窓か
 ら校庭にその姿を眺めることができる。   

 


 センダンの花~本部町八重岳


 アゲハ蝶がよく訪れていた。


    てふてふがこれほど近く花せんだん
              


 小さなモンシロチョウも飛びまわっていた。白っぽい花の中
 では見つけにくい。何時のまにかどこかへ去った。

 写真の蝶はジャコウアゲハ。





 センダンの花~本部町八重岳


 花から花へ梢の間を飛びまわるジャコウアゲハ。




 センダンの花~本部町八重岳





 センダンの花~本部町八重岳


 ウグイス谷に以外の道路沿いでもセンダンが見られる。
 道路沿いのセンダンは高く空に伸びている。
  
 風が吹くと小さな花びらがときどきほんの少し降った。地面
 をよく見ると白い小さな花びらが散っていた。



    空に咲く樗の花の香を知らで  (山口誓子) 


    むらさきの散れば色なき花楝  (松本たかし) 



  
 天才学者の南方熊楠(みなかたくまくす)は、紫色を好み庭
 の草花も紫色が多かったという。センダンについての随筆
 もある。その熊楠の死の床での言葉が長女の南方文枝によ
 って伝えられている。

  「(父の熊楠が)昭和4年6月1日、御招艦長門において御
  進講の栄誉に浴びせし日、あたかも父の門出を祝福する
  かのごとく、庭の樗(おうち)の花が薄紫の霞みのごとく咲
  き誇っていた。

  『こうして目を閉じていると、天井一面に綺麗な紫色の花が
  咲いていて、からだも軽くなり、実にいい気持なのに、医師
  が来て腕がチクリとすると、忽ち折角咲いた花が消えてしま
  う。どうか天井の花を、いつまでも消さないように、医師を呼
  ばないでおくれ』といいつづけた。」
  
 
 この翌日(昭和16年)12月29日朝、熊楠は74歳の生涯を
 終える。 

  「今幽明の境を彷徨する父の脳裏にあの日の感謝と、見事に
  咲いた樗の花を思いだしたのであろう。父の寝顔はやすらか
  であった。」



 下掲は熊楠の御進講に先だって昭和天皇が詠まれた御句。  

     
    有難き御世に樗の花盛り  (昭和天皇)  


 南方熊楠については、WEBサイト〈樹樹日記〉やその他
 サイトを参考にした。
 なお、紫色は「癒やし」の色でもある。



 

 センダンの花~本部町八重岳


 名護市県道72号線(名護運天港線)沿い。屋敷の裏に車
 道から見える見事なセンダンの巨木。
 幹の直径は1mほどあった。
 実がなっていた頃から惹かれ撮ってきた。納屋の屋根と重
 ねると山中のセンダンとは異なる風情がある。

  
 敷地内に入るため写真を撮らせて下さいとお願いした家主
 の方が、昔は、女の子が生まれるとセンダンを植え、嫁入り
 のとき家具を作り贈ったという話しを聞かせてくれた。
 
 センダンは成長が早く16年~20年ほどである程度の家具
 材が取れるという。



 嫁入り家具などを作った話は、以前にも聞いたことがあるが、
 琉球にはセンダンの不吉な話は伝わらなかったのだろうか。 

 以下は、『花と日本人』(中野 進 著)からちょっと長い引用。

 「中世特に源平の争乱時には楝の木に首をかけたところか
 ら、『さらし首の木』とか『獄門の木』と呼ばれるようになった。」

 このことについて著者は次のように推測している。

 「もともと後の祟りを恐れた人々がその悪霊払いのために、
 楝の木を用いたのではないかと想像される。こうして楝の木
 は、後の時代にも不吉な木、不浄の木とみなされるようにな
 ったものであろう。」

 「江戸時代には、鈴が森刑場の周辺には楝の木が植えられ
 ていた。こんなことから、この木は建築材や家具に用いられ
 ることなく、もっぱら棺桶材に使われた。(略)地方によっては
 この木を『棺桶の木』と呼んでいるところもある。

 「昔は火葬の薪にも死者の杖にもセンダンの木が用いられ、
 そしてまた栴檀の実で作った数珠も添えられたという。」 
 



 センダンの花~本部町八重岳





 
 センダンの花~本部町八重岳





        鍾山(しょうざん)の晩歩    (王安石)
 
    小雨軽風 楝花(れんか)を落し
    細紅(さいこう) 雪の如く平沙(へいさ)に点ず         
    槿籬(きんり)竹屋 江村の路
    時に見る 宜城(ぎじょう)の酒を売る家      

              

 おりからの小雨とそよ風が楝の高い梢をゆらして花を散らせ
 ると、こまかな紅い花びらが雪のように舞いながら平らな地の
 上に点々と落ちてくる。
 
 あたりには、木槿(むくげ)のかきね、竹の家、長江のほとりの
 村の街道。時おり宜城の名酒を売る酒屋も見かける。 


 〇 詩、訳とも『漢詩歳時記〈春の二〉』(角川書店)より。 

   


          


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Posted by 積雲 at 23:00│Comments(0)草・木・花
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